ここまでタイ不動産講座をご覧いただき、誠にありがとうございました。
これまでの章では、タイ不動産の基本的な仕組みから、物件の選び方・購入手続き・税金・収益計算・売却まで、不動産投資を行ううえで必要となる実務的な知識を解説してきました。そして、この講座の締めくくりとなる第9章、第10章では、2部構成で2026年現在のタイ不動産市場を深掘りしていきます。
ここからは、不動産の制度や購入方法だけではなく、
- 「現在、タイの不動産市場で何が起きているのか」
- 「なぜ不動産が売れにくくなっているのか」
- 「タイのデベロッパーや金融機関は、どのような問題を抱えているのか」
- 「このような市場環境の中で、私たちは何を基準に物件を見極めるべきなのか」
という、より実践的なテーマについて考えていきます。
タイの今は日本の
「昭和の終わりから平成初期」に似ている
2026年現在のタイを見ていると、私の感覚では、日本で昭和が終わりを告げ、平成一桁後半へと向かっていった時代の様相と重なります。高度経済成長の余韻が残り、都市には新しい建物が次々と建設され、一見すると経済は成長を続けているように見えます。
しかし、その内側では、借入金の増加、家計債務の膨張、不動産在庫の積み上がり、人口構造の変化、購買力の低下など、将来の成長を妨げる問題が少しずつ表面化しています。
日本でも、バブル経済の時代には、「土地や不動産の価格は下がらない」「今買わなければ、さらに高くなる」と考えられていました。
しかし、バブル崩壊後には不動産価格が下落し、金融機関には大量の不良債権が残りました。銀行は融資に慎重になり、企業や個人がお金を借りにくくなったことで、さらに景気が悪化するという循環が起きました。
現在のタイが日本とまったく同じ道をたどるとは限りません。経済構造や人口、金融制度、外国人投資家の存在など、日本とは異なる点も数多くあります。
それでも、不動産価格の上昇を前提に大量の開発と借入れが行われ、その後に販売不振と金融機関の貸し渋りが起きているという点では、当時の日本と共通する部分があります。
2018年、2019年が一つのピークだった
タイの不動産市場を振り返ると、私の実感では、2018年から2019年頃が一つの不動産バブルのピークだったと考えています。
当時のバンコクでは、BTSやMRTの新路線計画に合わせ、駅周辺を中心に数多くのコンドミニアムプロジェクトが発表されました。
バンコク中心部だけでなく、オンヌット以東、ラチャダー、ラマ9世、バンナー、郊外の新興住宅地などでも、次々と大規模な開発が行われました。パタヤでも同様に、ウォンアマット、ジョムティエン、プラタムナック、中心部などで、外国人投資家向けのコンドミニアムが大量に販売されました。
この時期の市場を支えていたのは、タイ人の実需だけではありません。
中国を中心とする外国人投資家、タイ国内の富裕層、中間所得層、そして将来の値上がりを期待する投資家が市場に流入していました。デベロッパー各社も、販売価格の上昇と旺盛な需要を前提として土地を購入し、新しいプロジェクトを次々と立ち上げました。
また、購入者側にも、
「完成前に売却すれば利益が出る」
「完成すれば価格が上がる」
「賃貸に出せば高い利回りが得られる」
という期待が広がっていました。
しかし、2018年から2019年頃に販売・着工された多くのプロジェクトが完成を迎えたのは、2020年から2023年頃です。
そのタイミングで発生したのが、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大でした。
バブル期に計画された物件が、コロナ禍に完成した
通常、タイの大型コンドミニアムは、販売開始から完成までに2年から4年程度かかります。
そのため、2018年から2019年の好況期に計画されたプロジェクトの多くが、2020年以降に完成しました。
ところが、完成した頃には市場環境が一変していました。
海外との移動は制限され、中国人を中心とする外国人購入者はタイに入国できなくなりました。観光客が消え、外国人駐在員の移動も減少し、短期賃貸・長期賃貸の需要も落ち込みました。
つまり、外国人需要が拡大することを前提に計画された物件が、外国人需要のほとんど消えた時期に完成したのです。
購入予約をしていた外国人が残金を支払えず、引き渡しに至らないケースも発生しました。タイ人購入者についても、収入の減少や失業、事業不振などによって住宅ローンが承認されず、契約を継続できないケースが増えました。
その結果、完成しているにもかかわらず買い手がつかない「完成在庫」が市場に積み上がることになりました。
デベロッパーは、建物を完成させた時点で建設会社への支払い、土地代、借入金の返済、利息、管理費などを負担しなければなりません。しかし、住戸を購入者へ引き渡さなければ、販売代金を十分に回収することができません。
売れ残った部屋は、デベロッパーにとって資産であると同時に、金利や維持費を発生させ続ける重い在庫でもあるのです。
借入れで購入した不動産の返済問題
問題は、デベロッパーの完成在庫だけではありません。
不動産市場が上昇していた時期に、将来の値上がりや賃貸収入を期待し、借入れによって物件を購入した個人投資家も少なくありませんでした。
しかし、コロナ禍によって賃貸需要が低下すると、当初想定していた家賃で入居者を見つけることが難しくなりました。
家賃を下げても入居者が決まらず、空室期間が長期化した物件もあります。賃料収入が得られない一方で、住宅ローンの返済、共益費、固定資産に関する税金、修繕費などの支払いは続きます。資金に余裕のない購入者は返済に行き詰まり、延滞や任意売却、競売に至るケースも出てきました。
これによって、金融機関が抱える不動産関連債権のリスクも高まりました。
表面上は返済が続いているローンであっても、返済猶予や条件変更が行われている場合があります。そのため、市場に存在する問題のすべてが、すぐに不良債権として表面化するわけではありません。
しかし、不動産価格が上昇せず、賃料収入も伸びない状態が長期化すれば、返済が難しくなる借り手は増えていきます。
現在のタイ不動産市場では、こうした潜在的な不良債権問題が、少しずつ顕在化していると考えられます。
金融機関の貸し渋りが市場をさらに冷やしている
不動産ローンの延滞や不良債権への懸念が高まれば、金融機関は融資審査を厳しくします。これは銀行側から見れば、当然のリスク管理です。
しかし、不動産市場全体から見ると、銀行の融資姿勢の厳格化は、さらなる販売不振を招きます。
現在のタイでは、一般的な会社員や工場労働者など、安定した職業に就いている人であっても、住宅ローンの審査に通らないケースが珍しくありません。
住宅ローンの審査では、給与額だけでなく、
- 自動車ローン
- クレジットカードの利用残高
- 個人ローン
- 過去の返済履歴
- 雇用形態
- 勤続年数
- 勤務先の信用力
- 毎月の返済負担率
などが細かく確認されます。
タイでは自動車ローンやクレジットカード債務、個人向けローンを抱えている世帯が多く、住宅ローンを追加で借りる余力が乏しい家庭も少なくありません。
そのため、本人には購入の意思があり、毎月の収入もあるにもかかわらず、既存債務が多いという理由で住宅ローンが否決されます。
市場では、住宅ローンの申請者のうち、非常に高い割合が審査に通らず、物件や所得層によっては否決率が70%前後、あるいはそれを超えるとも指摘されています。
ただし、この数字はすべての金融機関、すべての物件、すべての購入者に一律に当てはまるものではありません。
低価格帯の住宅、初めて住宅を購入する中間・低所得層、既存債務の多い購入者など、特定の層で否決率が特に高くなっていると理解する必要があります。それでも、「購入したい人がいても、銀行から融資を受けられない」という状況が、現在のタイ不動産市場の日常になっていることは間違いありません。
不動産は「欲しい人の数」だけでは売れない
ここで、不動産市場を見るうえで重要な考え方があります。
それは、住宅需要とは単に「家が欲しい人の数」ではないということです。
不動産市場における実際の需要とは、次の条件を満たす人の数です。
- 不動産を購入したいと考えている
- 頭金を準備できる
- 住宅ローンの審査に通る
- 毎月の返済を継続できる
- 将来の生活や雇用に不安がない
どれほど多くの人が住宅を欲しいと考えていても、頭金を用意できず、住宅ローンも承認されなければ、実際の購入にはつながりません。つまり現在のタイでは、「住宅を必要とする人」は多くても、「実際に購入できる人」が減少しているのです。
これが、現在の不動産市場を理解するうえで極めて重要なポイントです。
5つの問題が同時に起きている
2026年現在のタイ不動産市場では、主に次の五つの問題が同時に発生しています。
- バンコクを中心とする完成在庫の増加
- 住宅ローン審査の厳格化と高い否決率
- GDP比で80%を超える水準にある家計債務
- 中国人を中心とする外国人投資家の勢いの低下
- タイの中間所得層の購買力低下
これらは、それぞれが独立した問題ではありません。
家計債務が増えることで住宅ローン審査が厳しくなり、住宅ローンが通らないことで完成在庫が増えます。
完成在庫が増えれば、デベロッパーは値引き販売を行います。新築物件が値引きされれば、中古物件も価格を下げなければ売れにくくなります
物件価格が下がれば、すでに高値で購入した所有者は売却してもローン残高を返済できない可能性が生じます。
その結果、売却を諦める、返済を延滞する、あるいは銀行へ物件を返すといった問題が増え、金融機関はさらに融資に慎重になります。
このように現在のタイでは、
不動産が売れない
→ 在庫が増える
→ 値引きが増える
→ 担保価値が下がる
→ 銀行が融資を厳しくする
→ さらに不動産が売れなくなる
という悪循環が起こり始めています。
過去の不況とは何が違うのか
タイは過去にも、大きな経済危機を経験しています。
1997年のアジア通貨危機、2008年の世界金融危機、そして2020年の新型コロナウイルスです。
しかし、今回の不動産市場の低迷には、過去の危機とは異なる特徴があります。
過去の危機は、通貨、金融、感染症など、外部から発生した急激なショックの影響が大きいものでした。
一方で、現在の問題は、
- 家計債務の高止まり
- 所得の伸び悩み
- 少子高齢化
- 人口増加率の低下
- 住宅供給の過剰
- 地方経済の停滞
- 金融機関の融資姿勢の厳格化
といった、タイ社会の内部にある構造的な要因が複雑に絡み合っています。
そのため、観光客が戻った、外国人が戻った、金利が少し下がったという一つの要因だけで、市場全体が以前の状態へ戻るとは限りません。一時的な不況ではなく、タイ不動産市場の前提そのものが変わりつつある可能性があります。
これまでのように、
「買っておけば価格が上がる」
「完成すれば転売できる」
「駅の近くなら必ず賃貸がつく」
という考え方だけでは、投資を成功させることが難しくなっているのです。
それでも、不動産市場から離れる必要はない
ここまで読むと、「今はタイの不動産を買うべきではない」と感じる方もいるかもしれません。
しかし、本章で伝えたいことは、タイ不動産市場から離れるべきだということではありません。
むしろ市場全体が厳しい時期だからこそ、売主やデベロッパーとの価格交渉がしやすくなり、通常では市場に出てこない条件の良い物件を取得できる可能性があります。
重要なのは、市場全体が上昇することを期待して物件を買うのではなく、市場が低迷しても賃貸需要が残る物件、価格に競争力のある物件、出口を確保できる物件を選ぶことです。
今後のタイ不動産投資では、次のような視点が欠かせません。
- 実際に賃貸需要があるエリアか
- 同じエリアに完成在庫がどの程度あるか
- 新築価格と中古価格に大きな差がないか
- 周辺物件と比較して家賃が適正か
- 管理費や修繕費を含めても収益が残るか
- デベロッパーの財務体質に問題がないか
- 売却時にタイ人と外国人のどちらを買主として想定するか
- 市場が低迷しても保有を継続できる資金計画になっているか
「市場が良いから買う」のではなく、「市場が悪くても成立する物件を買う」。
これが、2026年以降のタイ不動産投資で求められる基本姿勢です。
この市場で、私たちは何ができるのか
不動産市場が冷え込み、住宅ローンが通らず、デベロッパーの在庫が増えている。そのような状況下で、私たちはタイ不動産をどのように見極めればよいのでしょうか?
まず必要なのは、「タイの不動産は将来的に必ず上がる」という前提を捨てることです。
そのうえで、立地、実需、賃貸需要、購入価格、管理状態、デベロッパーの信用力、出口戦略を、一つずつ冷静に確認する必要があります。不況の市場では、すべての物件が同じように下落するわけではありません。
賃貸需要が強く、供給が限られ、管理状態が良く、購入価格が適正な物件には、厳しい市場環境でも一定の価値が残ります。
反対に、有名デベロッパーの物件であっても、供給過剰のエリアにあり、周辺家賃と比較して価格が高すぎる場合には、長期間売却できない可能性があります。
これからの不動産投資で必要なのは、タイ経済全体の成長に期待することではありません。
一つひとつの物件を、収益性、資産性、流動性の三つの視点から見極めることです。
市場が良かった時代には、多少判断を誤っても、価格上昇が失敗を補ってくれました。しかし、「売れない時代」には、購入時の判断が投資結果を大きく左右します。
2026年のタイ不動産市場は、確かに過去30年間でも厳しい局面の一つにあります。ただし、それは単に「危険な市場」という意味ではありません。
知識を持たずに購入する人にとっては厳しい市場ですが、市場の構造を理解し、価格と物件を正しく選べる人にとっては、これまでになかった購入機会が生まれる市場でもあります。
最終の第10章では、完成在庫、住宅ローン、家計債務、外国人需要、中間所得層の購買力という五つの要因について、さらに詳しく解説していきます。
「昭和の終わりから平成一桁後半」という実感を軸にしながら、統計的な事実と私の市場観で最後の章を解説できればと思います。





